2012/05/02

お知らせというほどでもない

ツイッター連動再開しました。

ひっさしぶりにここの更新をしたら、自分で引くほど、書きたいように書けなかったのでちょっとあわてて、、、書く、って、ある程度は量の問題のような気もしてきた、ので、リハビリに、、、。

年始からずっと心情的に忙しかったのが、落ち着いてもきて、ちょっと5人のKAT-TUNについてねちねち(ねちねち…)書きたいぞ、と思って、とりあえず今日手始めに、ニノの情熱大陸を探し出して見た(なぜ)。

私は俳優ではございませんし、日本では5人グループで歌って踊っています、的なのを急に見たくなって。

時期が同じ頃だったのか、あかにしくんの復帰会見も丹念に残してあったので丹念に見てしまった…。

というあたりをねちねちそのうち。

| コメント (0)

2012/04/29

Final Chain

KAT-TUNのオーラスでした。グランディ21。いつ来てもほんとに楽しい会場。しかもとっても天気が良かった。

最後挨拶、かめたんはありったけの言葉を尽くしていた。
3.11の直接的な表現を避けて、ここに来られなかった人、へと語る。残された人へ「いっぱい悲しい思いをしたんだから、もう泣くなよ?」って。

たぶん、あの日からずっと、「あなたのことを大好きだったあの子があの日いなくなってしまった」という話を、たくさんたくさん受け止めてきたのだ。

…ということに、私はその時初めて思いあたった。

お母さんが亀梨くんを大好きだったけどあの日、友達が亀梨くんを大好きだったけどあの日、そんな話を、たくさんたくさん、聞いてないわけ、ないんだよな。

たくさんたくさん受け止めて、たぶんそのたびに立ち竦んで、そのうえでその場所に立つと決めたのだ。
そのことに、初めて気づいた。

もう泣くなよ?

キミもね。

アンコール、肩の荷が降りたように笑った顔、すごく綺麗で、かわいかったよ!

| コメント (0)

2012/04/21

全力亀梨

生きてます!

2月から突然かめたんに舞い戻りました!(ほんとうにとつぜん)
双眼鏡を買い直すくらいには真剣です!

かつんと東京ドームはわりと相性が良いのですが、2年ぶりの東京ドーム仕様かめたんは色々全力で、全力亀梨って歌をゆずあたりに作ってもらえばいいんじゃないかとおもいました。
カワイイ顔するのに全力でやる必要ないと思うんだけど、超全力でうざいんだあいつ!(笑)好きー!

おわり(これだけか!)

| コメント (0)

2012/02/02

お知らせというほどでもない

ついった止めてます。
またやる時はここにリンク貼りますわ。
いや、やるかどうかわからんけど。
軽く3世代くらい前の年代なので、SNSが根本的に理解不可能なんですもの!(笑)

あ、北国からはヨロヨロ帰ってきました…雪って大変なんだな…北国で見る東京のニュースは「外国のニュース」くらいな感覚でしたでござるよ。今まであまり感じなかったのになんでだろう、今回はあまりに遠い距離を感じた…今大事なことはそこじゃねえ!とか思うことが多かったかもー。

ひとは半径3メートルで生きているから、その範疇をこえて誰かの幸いを思うことには、意識的な意志、みたいなものが必要なのかもー。

もー。

| コメント (0)

2012/01/25

冬の寒い日

201201

北国で長期出張しています。風が吹くと呼吸困難になるくらい寒いです。まだ雪ですべって転んではいない。けど、絶対出張終わるまでに転ぶと思う。「雪かきしてくれるなら長靴買ってあげる」という作戦で明日から雪かき要員を募る予定です。もうなんかよくわかんないけど寒い。ここで暮らしてる人はほんとうにほんとうに大変だとおもう。…けど、しばらく滞在しているので、だんだん慣れてきたのも事実…寒いけど、最初の頃に感じた「寒くて痛い」という感じはもうしないもんなー。

1999年1月の東京も、寒かったです。とっても。

1999年の翔ちゃんのバースデーは、その直前におこった、いわゆるJr.のフライデー事件の結果が出たその当日でした。ジャニーズJr.の未成年がパーティーで飲酒、という記事がフライデーに載りまして、そのことで警察が事情聴取に動いた、という事件でございました。

当時も納得できなかったし、今でも納得していない。あの時、悲しい思いをしたのは、当事者のJr.と、そのご親族と、経済的利益をともにする人たちと、そして、「わたしたち」だけでした。ぎゃんぎゃん騒ぎたてたマスコミも、「未成年が飲酒しちゃだめだよね」とあたりまえのように言った人たちも、みんな、忘れちゃったよね、そんなこと。でも、あたしおぼえてるよ!(笑)ぜったいゆるさないから!10代の子どもの将来をふっとばして、「だって悪いことしたんだからしょうがないじゃん」って言って、それっきりそのことを忘れてしまった人たち全員許してないから!まじで!だってその時解雇された4人の中に、当時の私の自担と呼べる人が2人も入ってたんだから!2人いたら自担じゃねーじゃんっていう突っ込みはなしでおねがいします!

その4人のなかに、当時、とても翔ちゃんと仲の良かった子が1人、含まれていました。昔から翔ちゃんは大型犬のような年下男子に妙に好かれるという特徴を持っていて、その1人も、巨大なラブラドールみたいな子でした。

翔ちゃんは当時、「高校を卒業したらJr.を辞める人」という取り決め(なんというか、「取り決め」という言い方が一番しっくりくる。誰が確定したわけでも証明したわけでもないけど、それは万人の「周知の事実」のようなものでした)があり、この件でもしかしたらもっと早くに辞めちゃうかな、と思ったりもして。でも、はからずも、ほんとうに、たぶん本人も「はからずも」嵐になってしまい。

嵐になったから、30歳くらいになったら、あの時のこととか、話せる時もくるのかなあ、なんて、思っていたりもして。

でも、実際むかえた30歳は、とてもとてもそれどころではない立場にあって、それはそれで、とってもいいことだと思う。

当時、その「取り決め」があった当時、私が思い描いていた翔ちゃんの30歳は、デビューした松本潤の話の中で「昔の友達に会って」というエピソードの中に妙に短気な男の子が出てきたら「それは翔ちゃん!まちがいない!」って、予想しながら楽しむ、というものでした(笑)

それが、ねぇ、今は。

白状すれば、報道番組が苦手な私は、あまりゼロも見ていません。つか、そもそも、そんなにたくさん見ているわけじゃないのです、今、嵐。がっっっつり見ていた時期ははや数年前の話になり、ほかに見ているものもあるし、妙に忙しなく働いてもいるし、年齢的にいろいろと家族のこともかぶってくる時期でもあり。

でも、不思議なもので。言い方ヘンだけど、視線を感じる気がするのね。それは主に翔くんの。「嵐見ろ~、嵐見ろ~、他のもん見てんじゃねぇ~、嵐のがいいって、ぜったいいいって!わかってんじゃんそんなの、ほら、こっちのがおもしろいってぜったい!」みたいな(笑)

ぜんぜん、知り合いでもなんでもないけど、そういう感覚は、不思議なものだと、おもいます。

1999年1月の、寒い寒い東京の冬を越えて、9月にハワイの洋上できょとんとしていた翔くんが、翌年の4月に「すべてのジャニーズJr.に、ありがとう」と泣きながら言った時、それを聞いた時、「すべての」というその一言がどれだけうれしかったか。もう、それだけで、私は一生、いくらかのお金を翔ちゃんに払い続けなければいけないと思っています(笑)

もしかしたら、私は、嵐を好きなわけじゃなかったかもしれない。ただ、あの頃のJr.が好きで好きで、本当におもしろくって、本当に楽しい思いをさせてもらって、だから、その時のJr.から選抜された、という体裁で出てきた嵐に、なんとか、なんとか形になってほしいと、ただそう思っていただけなのかもしれないと、そう、思わないこともないのです。

でも、翔ちゃんの「すべての」という一言を聞いた時に、これでいいんだと思ったし、これでよかったんだと思ったし、心から、それは本当に心から、がんばってほしいと思ったし、そのためにできうる限りのことをしてあげたいと思ったし、それは、今でもそう思ってる。

いろんな仕事をしても、環境が変わっても、でも、あの時、「すべての」と言ってくれた翔ちゃんは今でも私の目の前にいて、「嵐いいよ~、今見ときなよ~、やっぱ嵐じゃね?ね?戻ってくんのはここじゃね?嵐が一番よくね?」って、うざいほどに(笑)アピールしてくる。

「スマート」なんて書かれてるけど、ほんとは乱暴者で、うっとおしくて、悪い感情でも外に出しちゃう、デンジャラスな翔ちゃんでも別にいいんじゃね?

やっとドームでやらせてもらえるようになった頃、翔ちゃんが最後の挨拶で突然、「みんなさぁ、嵐のファンって言うの、恥ずかしいでしょ。でもさぁ、もっと言っていこうよ!アピールしていこうよ!」って言い出した時、会場中が「図星すぎる」と思ったうなだれたのも、もう昔の話だな(笑)

なんだろうね。一緒にやっていく、っていうスタンスが、ずっと昔からあるのかもしれないね、翔ちゃんの中にね。

おたんじょうび、おめでとうね。私は、あなたのことなんか、たぶん、まったく全然知らないけれど、どこか、同志のような気が、ずっとずっとしています。

同志翔ちゃん、これからも、嵐をよろしくね。たよりにしてます、まじで!

Happy Happy Birthday!

| コメント (2)

2012/01/01

キンキラキンにさりげなく

カウコン、マッチさんの前で今年の抱負を聞かれた堂本(つ)さんの言葉。天才だとおもった。

ということで、あけました。いろいろあるけど、おめでとうございます、です。

そういえば3月のあのあとにblogなどまた再開してみたりしたのでした。あまり更新もしてませんが;すみませんぐうたらで;

震災の後、キングコングとゆー漫才師の、西野とゆー人がUstreamで「ろくでもない夜」という芸人さんが集まってぐだぐだ楽しくするという配信をしていて…

…それを見たのは計画停電の最中で原発も爆発が続いてて、関東圏はどうなるんだろうと単純に感覚的な恐怖で震えがくるような時で…

でも、その配信にNON STYLEという漫才師の井上裕介という人がギター持って自分の持ち歌をわーわーされながら唄っているのを見た時に、猛烈に「自分、恐がってるだけじゃだめだ!震えてる場合じゃねえ!」と思ったのでした。

だから何ができるとゆーわけでもないけども。
エンターテイメントというのは非常時でも必要なのかも、と初めて思った。

元々私はお笑いの世界に興味がなくて(武勇伝だけは知っている、あれ大好きだ、くらいの予備知識)なのになんで急にNON STYLE?と自分でずーっと不思議だったのですが、多分、芸人、というカテゴリーでは見てないんだな、という結論にこの時達した次第。本人はスーパースターになりたいらしいけど、それはめざす方向として正解だとおもう(真顔)。男子163センチはエンタメに向いている。いしだくん(白いほう)の演劇的立ち姿も才能がありすぎる。芸人としてカテゴライズされてるのがもどかしいと密かにいつも思っている…。
最近妙にジャニ好き原点回帰気味なのは、ジャニって仕事のカテゴリーがなくて、なおかつファンという存在に対しての最低限の配慮と平等性が担保されてるからかなあ、と思ったり。

以上余談でした(え)

エンターテイメントは平和産業だから、平和な世の中じゃないと私の好きな人たちはみんな食いっぱぐれてしまう。だから平和ボケ大歓迎、だとずっと思ってます。

でも、いろんな意味で大変な時にも、エンタメは必要なんだと思ったさ。それが生きる支えになる瞬間て、たぶんあるとおもう。

生きてくことは大変だけど、君が生きていくなら、自分も生きててもいいかもしれない。
エンタメって、生を肯定するもんなのかなあと思いつつ。

おだやかでやさしい一年を、心から。

| コメント (0)

2011/12/24

merry,merry.

思い出すのは、いつかのクリスマス。たしか名古屋。まだレインボーホール。

思い出すのは、全身タイツじゃなくて、全身タイツのポップアップじゃなくて、全身タイツの…(そっちじゃない)。

いつかのクリスマス。

思い出すのは、想像しないタイミングでHappyBirthdayの曲が流れ始めて、ケーキが自分の背後から出てきた時、それを振り返って確認する前に、「なんだよ!」みたいな顔したこと。

いつかのクリスマス、当日にイキオイだけで書いたもの。
(↑ひそかにいろいろまちがっている。全身タイツ胸元は確か文男だった。あれ、後ろか?)

後日書いたその日の感想っぽいもの。
(↑当時どれだけ自分が松本モードだったかが溢れすぎていることに今更気付く)

昔っから、私は相葉ちゃんという人のことがわからない、と、ずううっと思っていて、それは今でも多分一緒。

ついこないだ滝沢のラジオに出た斗真が、相葉ちゃんは「こわかった」というニュアンスのことを言っていて(自分と潤がわーわーケンカしてると、相葉ちゃんが「やめろよ!」と止めにくる、とか)、確かに印象としてはなぜかその頃の方がつよいかもしれないと思ったりもする。

なんか、私が当時のことですごいおぼえてるのは、スタンドバイミーの時だったか、最年長の相葉さんは他のみなさんの勉強とかみてあげるんですか的な話題で、そんなことしてくれないよーみたいな話の流れで、本人は「(宿題持ってくれば)見てあげるのに」みたいな雰囲気だったこと。あと、高校行く時に、堀越でも、ごく普通の通信制や定時制でもなく、なんだか理系な雰囲気のところを選んだこと。

その頃のことを思えば、今世間一般に持たれているイメージとは随分違って、でも別に今無理してるとは思わないし、じゃあ当時から変わったのかっつーと、別にそうとも思わない。

ちょうど、西の方から、横山くんと野中くんという二人組的扱いのJr.がぐわーっと出てきていた頃、当時の横山くんは大変なんというか、動物的でスタイリッシュな雰囲気を持ち合わせていたもので(まじでまじで!)、しかも二人とも金髪でめっちゃ派手で引きがあって、それに対抗する東のJr.二人組が相葉ちゃんとニノという、それはそれはまあ地味な(ほめてます)、ちょっと背景に生活感ありすぎじゃね?総武線(しかも各駅)乗っちゃってます感出すぎじゃね?これであの金髪に対抗できるの?ちょっとー大丈夫なの?あれに対抗するんだったら、小さくてカワイイのに妙にギラついてる感が隠せてない、あの肩で風きってる松本潤をぶつけといた方がいいんじゃないの?

・・・とかも、思っていました(思い出話が長いです)。

変わった、とか、変わらない、とか、本来そうだとか、本来そうじゃないとか、そういうのは、べつにあんまり関係なくて、なんでもいいのかなあ、とか。

なんでもいいというのは、つまり。

そこにいて、笑ってくれていること、それだけがぼくのすべてである、と。

むかし、インタビューで、(写真で)肩の部分を修正されるのが好きではないと言っていた。

そんなこと文章にするような人ではなかったので、かなり、驚いた。

あたりまえだけど、ひとは、いろんなことを考えながら生きているわけで。

決してポジティブな人でも元気な人でもないとおもう。

でも、ポジティブで元気でありたい人ではあるとおもう。

そして、徹底的に、心配されたくない人であるとおもう。

私は、本当に、昔から、このひとのことを全然わからないけれど。

心配されたくない人である、それは、ほんとに、そうだとおもっている、ので。

今日も、明日も、この先も、あなたがそこにいて笑っていること、それだけがすべてではないかとおもっている、ので。

あなたがそこにいて笑っていることを、それを、ちょっとでも、ほんのちょっとでも、後押しできるような。

そういうふうには、なりたいかもしれないなあ、と、おもったりは、しています。

Merry, merry Christmas & Happy, happy Birthday !

おだやかでやさしい未来を、心から。

| コメント (2)

2011/12/01

異端児じゃないもん

今朝のzipで、斗真が「アイドル王国のジャニーズ事務所で俳優一筋の異端児」的な紹介をされていた。

…ちがうもん…

デビューしたかったもん、なにより誰よりさせてあげたかったもん、Jr.コンサートだってほんとはまんなかでさせてあげたかったもん、でもできなかったんだもんしょうがないじゃん…

そっから斗真が必死でやって自分でつかんだ今のポジションだから、やっぱりデビューしてほしかったんだとか、今でもほんとは踊ってほしいんだとか、そんなこと言っちゃだめだってこっちだって思ってるんだもん…

でもほんとはREALDXとかもっかい見たいんだもん…
翼のAXELとか大好きだったよ…
踊る時歯を食いしばっちゃう癖はいまだに治ってないのか、考えたりするよ…

嵐がデビューして、デビューコンサートのバックにいてくれて、翔ちゃんが涙ぐんだ挨拶を裏で聞きながら「(嵐のみんなデビューできて)よかったね、よかったね」て斗真が号泣してたって話が一番の号泣エピソードだったよ…

滝つが滝つで出るってなった時、じゃあ次は斗真がつくるジャニーズJr.だ、それはどんな世界なんだろうってほんとにわくわくした。

今タイムマシンがあったら、あたしあの頃に行って、赤西ぶっとばして山下を張り倒して、亀引っ張り出して「斗真、悪いこと言わないからこの子にしなさい!」って言っちゃうわ(笑)

仁亀が初めてインカムつけさせてもらえたコンサートで、滝ちゃんのコーナーの流れで斗真山下仁亀でSMAPオレンジを歌った時に、斗真が気を使って後輩仁亀を真ん中にしてくれたことがあったんだよね。並びが斗真仁亀山下で、そこは後輩が気を使えこの馬鹿馬鹿があっ!と思ったことを今でも怨念のようにおぼえています…

Jr.コンのオーラスで、滝ちゃんが最後だから外周回ろうって急に思ったらしく、翼に耳打ちして翼が逆サイド行って、滝ちゃんがマイク通して「山下!」て呼んだのよ。次に斗真を目で探したら、斗真はもう逆サイドの翼の後ろを何事もなかったかのようについて歩いていたわけよ、それ見て仁亀も走り出したわけよ、そういうあの頃のジャニーズJr.をつくった真ん中にずっと斗真はいたんだよ、どうして出してあげられなかったのか、今でもくやしいのよこっちは!

…とエキサイトしてしまい、あたくしって修行が足りないな、と思ったりした朝だったわけなのでした。

もう、よい、おもいで、だけど。

嵐は5人であって5人ではない。
ずっと嵐自身が嵐と向き合い続けられるそのエネルギーのどこかに、おもいで、は、確かにあるとおもっているよ。

| コメント (1)

2011/11/26

思い出というものは

ちょーいまさらですが、SMAPのFANFUNパーチーに行ってきたのです。
むかーしからの友達と行きまして、思い出話三昧です。横アリの真サイドのアリーナ席だった時にほんっとに森しか来なかったことがあって、前の席のお姉さんが最後の方には森が来た時に後ろ向いちゃってたよね、とか、そういう超細かいくだらないことを思い出したりしてました。

その友達は仲間内で一番最初に携帯電話を買ったのですが、その理由は、SMAPのコンサートの時間を勘違いしてて、1時間遅刻してきたことがあったからなのです。それも横アリでした。来るはずなのに全然来なくて、当時携帯電話など一般的じゃなかったから、横アリのアリーナロビーの公衆電話から、その子の実家に電話をして、お母さまが「もう出てはいるんですけど…」とか言ってて。その子は横浜駅近くで余裕でお茶していたという(笑)
そんなことの直後に携帯電話買ったんだよねー、って。
(ちなみに私は、就職活動するのに、インターネットと携帯電話は一般的ではなかった世代です。)

パーチー、1曲目がSHAKEでした。

SHAKEは、私の記憶が正しければ、その年の初夏に森が辞めて、その冬に発売になった曲です。クリスマスが近かったのかな。森が辞めちゃうなんて、そんなとんでもねー出来事があって、全然良い年なんかじゃなかったはずなのに、ちょベリベリ最高!って笑い飛ばすような曲。Mステで最初にやった時、歌詞は「shu-shu-」って英語っぽい表記だったのに、CDになったら「シューシュー」になってて、英語っぽい表記のがよかったのにーって、どうでもいいことが気になってた冬。

SHAKEの後は、がんばりましょう。

フォーメーション組んだ瞬間に、次はがんばりましょうだね、ってわかる感じ。阪神・淡路大震災直後のMステで、これ歌ってたなあ。

ダイナマイト、今カラオケでよく聞く。SMAPの曲を普通にカラオケで聞いたり、コンサートグッズのバッグを普通に街中で持っているのを見かけたり、どんどん変わる環境にただただびっくりしてたりも、した。

嵐は昔、SMAPも売れるまで結構かかったんだよ、みたいな話をよくされて、そのたびに、「いやいやSMAPは5年目にはもう売れてたもん…嵐もう5年たっちゃったもん…」とか思ってたなあ、とか。

噂の5カ所出口でお見送り、つー子さんが説明で「もうみなさんインターネットで知ってると思うけど」と言った時、なんか、つー子さんの口から「インターネット」って!とか、へんなところで感心したり。

そのお見送りは中居でした。コンサートとかじゃなく、近くで見るのはどのくらいぶりだろう?桜っ子クラブの西武園のスケート大会以来?(それいつ?)10時間待った心の鏡の握手会の時以来?(それもいつ?)

年を取ったとはいえ、なんか、相変わらず小さくて細くて顔ちっさくてスタイルよくて、手の振り方や雰囲気が、今にも「なか~いちゃんだよっ」とか言い出しそうで、そう可愛く言いながらもケッとか思ってそうな空気感もきちんとあって、あぁ、実はなんにも変わってないのかもしれないなあ、と、思ったりもしたのです。

私が大野智を初めて個体で認識した時、彼は京都に行く直前でした。
「京都には、『行けば?』って言われてる」とかいう、緊張感のまったくない(笑)コメントを雑誌で読んで、ってことは智は行くんじゃねーか?、みたいな話をみんなでしたりしたのですよ。
それで実際京都に智は行って、その踊る様子を見た時に、「私がジャニーズで見たかったものってこれだ…!!」って、ものすごく思ったんだよ、一時は関西方面での就職を真剣に考えたくらいには!(これが実話なところがこわい。大野智こわい…)。

よく踊っていました、ほんとに。これ見られるなら、デビューなんかしなくていいや、と本気で思えるくらいには。
KYOTOKYOが終わった後の一時期、こいつ京都から帰ってこねーんじゃねーの、みたいな空気満載だったから、その年明けの日生劇場の舞台で光一の後ろで踊ってるの見た時はひっくり返りました。しかも、ありえないほどぷっくぷくになっていて、一緒に見ていた友達が、それが大野智だと認識できない始末だという(実話なところがこわい。大野智こわい…)。

だからMA結成になった時はうれしくて、踊るじゃーん!踊る仕事あるじゃーん!てうれしくて、嵐になってまたひっくり返って、でででででも智がいるなら踊るよ、嵐は踊るグループになるんだよ、と自分をなぐさめて、それからは文字通り嵐のように。

ふと思うことは。

辞めるチャンスはたくさんあったのに。よく、辞めなかったなぁ、と。
当時の智の性格上からいっても、いつもいつも辞めそうだったのに。
デビュー直後、「スケジュールを教えたら逃げそうだから」という理由で、ニノがスケジュールを教えなかったこともあったというのに。
辞めるには惜しすぎる才能だったといっても。

もう、10年もたっちゃったんだ。
当時の私に、「智、辞めないよ。トップアイドルみたいになってるよ」と言ったら、嵐発表の前日にネットに流れた「新グループに大野智が入ってる」という噂を一笑に付した時のように、鼻で笑って終わりな気がする。辞めないのはともかく、智がアイドルってなんだ?と。

思い出、は、やっぱり京都の頃。見放されててほったらかしで、がちゃがちゃでめちゃくちゃだったあの頃。ひでー噂ばっかりだった、超冷たくてカッコイイあまり笑わない大野智。

でも、大事な時に優しい、って。そんなふうに言われてた。

きっと、今でもそうなのかも。ひでー噂ばっかりで、超冷たくてカッコイイあまり笑わない。

でも、大事な時に優しい。

大野智のすげーところは、その、京都の頃から見てる人たちも、まだまだたくさん、大野智が好きなんだろうなっていうところ。嵐になってデビューして売れちゃって環境が変わってそう簡単に踊るばっかりの仕事じゃなくなって、でもみんな大野智の才能を信じてる。それも、確信的に。

それは私もそうだな。
もし、この先、ジャニーズで「私これ見たかったの!!」っていうものを見せてくれるとしたら、それは智なんだと思ってる。不思議なもので。それがどんな先の話であっても。

思い出というものは美しくなっちゃうものだけど、思い出というより、確信とか信用とかそういうものなのかもしれない。
今までの智に対する、あまり根拠がない、でも絶対的な、信頼。

できれば、辞めないでね。これからも。毎日眠くても(笑)

おたんじょうび、おめでとう。

| コメント (1)

2011/11/01

まだまだ

石巻と南三陸町をまわる。
石巻市役所の落ち着いた感じに同行者が感動。
6月に来た時は戦場だったらしい。

南三陸町の役場は高台のテニスコートに臨時に建てられたもの。
働いてる方達はまだまだ戦場の様子。
それでも町は6月より確実に綺麗になっているけれど。

大川小学校にも立ち寄らせていただく。
仙台からいらした学校OBだと言うおばさまが「このへんの子なら裏山に登れるわ」とおっしゃる。
外国人の方を被災地に案内していたタクシーの運ちゃんが、「結果論だべ。山さ逃げて一晩そこでどうする?」とおっしゃる。
すぐそこに大きな大きな川。見渡す限り平坦な景色。裏に立ちはだかる山。

「その時のことを誰が責められる?でも、保護者の思いは受け止めなきゃいけない」
防災関係の専門家に聞いた時はそう言っていた。

「結果論だべ」そう言った運ちゃんは、自宅の屋根に登って助かったそうだ。
「登れるわ」と言ったおばさまはご親族を亡くされているとの由。

たまたま居合わせた皆でただ手を合わせる。
できることはとても少ない。
まだまだ、マダマダ。

| コメント (0)

«変わっていくことを